外面がいい毒親は、一定数いる

自分の経験上の話になってしまうのだが、自分の中の統計上、虐待をする親の中でも「外面がいい親」の割合がいちばん多いと感じている。

「統計」という言葉を使っているわりに、ちゃんと数えたわけではないのだが、自分が見聞きする毒親(実の両親を含む)の多くがなぜか「外面がいい親」だと感じているのだ。

気づかれない虐待

特になにかがあったわけではなく、少し前にTwitterで「虐待についての周りの反応」について言及している投稿を見たことがあり(その意見は真っ当な意見である)、その投稿をなんとなく見たのがきっかけで、ふと思い出しただけである。
全員が全員「外面がいい」わけではないのは分かっているが、なぜか「他人には善人になる」という特徴を持つ毒親を見聞きすることが多いため、誰に対しても悪人面をしている毒親っていないのか……?と疑ってしまうほどである。

もし、誰に対しても悪人面した人が(実際に)虐待をしてる人ばかり見聞きするぞ!?という人がいたら教えてほしいと思ってしまうほどなのだが、ただのネットサーフィン好きの素人ですら「外面がいい毒親」を見聞きする機会が多いのだから、全国を探しに探し回ったら「外面がいい毒親のせいで虐待が気づかれない家庭」が湧き出てくるのだろうなぁ……と、ついつい考えてしまうのだ。

そうなる理由

外面がいいのに(家では)子どもに虐待をする、という行為は例えるならば「パートナー相手にDV(ドメスティックバイオレンス)する人」と同じ思考ゆえに起こることだと思うのだが、パートナーにしろ実の子どもにしろ、なぜそういうことが起こるのだろうか?

いや、素人なりに心理学に興味があるため、身内への暴力の原因はなんとなく分かっているのだが(『身内に対して服従させたくなる思考』が原因では?と思っている)、もし本当に相手を服従させたいと思ったとしても、その思考が生まれる根本的理由があるはずなのだ。
なぜ服従させたいのか、また別の理由(『服従させたい』とは全く違う思考)があったとしても、なぜそう思ってしまうのか、そもそも「他人には善人になる心理」ってなんやねん!といった具合に、DVないし虐待には根本的な原因を探せば必ず理由があるはずなのだ。

「他人には善人になる」に対しての個人的見解としては、

  1. 身内じゃないからこそ争いを避けたい
  2. 相手がどんな人間なのかが分からない
  3. 自分より「格上」の相手に逆らえない etc.

なのだろう……と感じるが、正直なところ時と場合によるだろう。

「身内じゃないからこそ争いを避けたい」というものも、真の原因が「相手がどんな人間なのかが分からない」という場合もあれば、「自分より『格上』の相手に逆らえない」から争いを避けたい、となる場合もあるだろう。
「相手がどんな人間なのかが分からない」という理由の、真の原因が「単純に初対面だから」ということもあるだろうし、服従させたい思考を持ち合わせていない人間でも、時と場合によって態度を(とっさに)取り繕うことがあるだろう。

態度を取り繕うことは必ずしも悪いことではないが、自分がこの記事で話題にしている人間の特徴は「身内への暴力行為」と「外面がいい」がほぼ必ずセットになっているため、定食セットじゃないんだから……と思ってしまうのだ。

「定食セット」のような思考

自分の中のイメージでは、

  • いわゆる一般人→パスタのような「『ひとつの皿』に『ひとつの料理』が盛り付けられている」状態
  • DV等をする人→定食セットのような「『ひとつのお盆』に『数種類の料理』が乗っている」状態

だと思っており、

  • 一般人は「ひとつの皿=その人の脳みそ」であり、「ひとつの料理=良いところも悪いところもごちゃ混ぜになっている」という解釈
  • DV等をする人間は「ひとつのお盆=その人の脳みそ」であり、「各お皿(料理を含む)=その人の良いところや悪いところ」という解釈

を「持論」として心の中に持っているのだが(こんなことを言いつつ『異論は認めるスタンス』である)。

一般人は「ひとつの料理」の中に良いところと悪いところが混ざり合っている状態ゆえに「思考力も一般人」だが、DV等をする人は良いところと悪いところが「各お皿」に分別されているからこそ「思考力が少しおかしい」という解釈でいるのだ。

※少し回りくどい例えで申し訳ない※

DV等をする人がどのタイミングで「定食セットのような思考」になるのかは人によるだろうから、なんとも言えないのだが。
「暴力行為」と「外面がいい」が、脳の初期設定のようになっている人間が、一定数いることはたしかである。