勉強をさせないのも「教育虐待」では?

特に深い意味はないのだが、「教育虐待」関連のニュースやネット記事をたまに見聞きする時に、ふと思うのだ。

教育を受けさせないのも、一種の教育虐待にはなるよなぁ、と。

本来の教育虐待を容認したわけではない

別に、本来の意味である「教育虐待」を肯定しているわけでは一切ない。

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こういう事件や、この事件以外の(教育虐待に関する)記事を見聞きするたび、

  • 実際の育児は「おままごと」じゃないんよ
  • 実子だろうが「強要」はどうなの?

と思っており、たしかに教養を手っ取り早く身につけるためには勉強した方がいいのだが、だからといって「強要する」のは倫理的・道徳的観点から見たら教養がない行為なのでは?と思うのだ。

勉強をすること自体は悪いことでもなんでもなく、むしろ知識が増えることで人生が豊かになる「善いこと」ではあるのだが、実子であろうが他人ひとに無理をさせるほどの要求は、たとえ「勉強」を強要させる行為だったとしても、下手したら脅迫になりかねない行為なのだ。
法律に引っかかる可能性があるほどの倫理観が欠けた行為を、いくら実子だろうと、自分(親)以外の人間に向けるのは、その親自身が教養がなく「勉強を一からしなくちゃいけない」ような人間だと思うのだ。

そのため、本来の意味である「教育虐待」を肯定するつもりは一切なく、教育虐待をする親こそ教育を受け直さないといけないと思っているのだが。

自分が思うに、これも「強要」の話になってしまうが、実子に教育を「『頑な』に受けさせない行為」も教育虐待の部類に入るのでは?と思うのだ。

理由は様々あるだろうが……

子どもに教育を受けさせたくない理由は様々だろう。

単純にお金がなかったり、ネグレクトのような「教育虐待とは別の種類の虐待」を実子にやっていたり、家庭によって様々だろう。

だが、思うのは「単純にお金がない」が理由だったとしても、教育を受けさせないことを強要するのはある意味で教育虐待なのでは?と思うのだ。
あくまで、「強要する」の部分に対して倫理的・道徳的にどうなの?と疑問に思う、という話であって「お金がない」の部分に対して疑問に思っているわけではないのだが。

言い方が悪いが、「単純にお金がない」を理由に教育を受けさせたくないからといって、それを理由に勉強をするなと強要するような教養のない人間だから、お金が稼げないのでは?と思ってしまうのだ。

何度も言うが、強要という行為は、下手したら脅迫になりかねない行為だ。

いくら実子を相手にしているからといって、法律に触れる可能性のある行為は、相手が誰であろうとしてはいけないだろう。

もちろん「そういう法律だから」という意味もあるが、なぜ法律で決められているからというと、

他人ひとに迷惑がかかる行為・相手を傷つける行為は倫理的、または道徳的観点から見て「教養のない行為」だから秩序が乱れるでしょう。
だから、法律として「秩序が乱れる行為」と「そうでない行為」をルールとして決めてしまい、ルールを破った人間には刑罰を科しましょう。

と、国が決めたからでしょう。

もちろん、法律の全部が全部「秩序が乱れるから」という理由で決められたわけではないと思うが、刑法のような「秩序を乱す者には刑罰を科そう」という法律に関してはそうでしょう。

倫理観ないし道徳観から見て、「それはあんまりだよ」という行為に関してはルール違反として刑罰が科せられるよう、法律で決められているのだ。

それは、たとえ親子間だったとしても、人間としてのルールやマナー、倫理的・道徳的観点を持ちながら生活しないと秩序が乱れるでしょう。
たとえ家族観だったとしても、「家族」という複数人の人間が集まった団体なのだ、ある程度のルールやマナーは必要であり、秩序を乱さないようにしないといけないのだ。

親しき仲にも礼儀あり、という言葉があるでしょう。

たとえ実子相手だったとしても、礼儀を重んじることができない人はいかがなものか?と思ってしまうのだ。