承認欲求の扱い方を、間違えてはいけない

ふと思っただけであり、ただの戯言たわごとにしかすぎないのだが。

うちの母親を普段から見ていて、悪い意味で発達障害を思わせる言動をするせいで、それが虐待まがいの言動となっているのだが、承認欲求の満たし方にももはや病気の域では?と疑問に思ってしまう時もあるのだ。

これまでの経緯

私は高校卒業と同時に無職になったニートであり、本格的に精神医学や心理学を勉強したわけではなのだが、素人なりに病院で診てもらった方がいいのでは?と疑問に思ってしまうレベルで実子が無職で可哀想でしょ?これでも「なともな人間」にしようとしてるのよ?「親」として頑張っててすごいでしょ?アピールをして、母親自身の承認欲求を満たそうとする傾向があるのだ。
この傾向は昔からあり、娘である私が学生時代に不登校になった際は「うちの子が不登校なんて可哀想でしょ???でも頑張って学校に連れて行こうとしてるのよ???ちゃんと『親』をしてるでしょ???」というアピールを周囲にし、家庭内では「なんで学校に行かないの!?これだけしてあげてる・・・・・・のに!なんかの病気じゃない!?!!」となるのだ。

「これだけしてあげてる・・・・・・」という発想(および言動)が出る時点で、相手を思いやらずに自分の意見を押し通したいだけの自己中心的な人間ではあるのだが、悪い意味で承認欲求を満たそうとするのだ。

からしたら、メディアでよく見る代理ミュンヒハウゼン症候群に似た言動だと思うのだが、母親自身に話したところで「自分は病気じゃない!」で終わるだろう。

しかも、母親の中では

「頭がおかしいことをするのは精神疾患を持っているからだ」
不登校や無職になるのは悩みを持っているからだ」

という妄想があり、私が誤解を解こうと何度も話をするのだが、どうしても妄想を「妄想」だと認められないのだ。

母親は元々うつ病患者として精神科に通院しているため、実子に悩みや病気があると思っているのなら通院中の病院で入院した方がいい、とも勧めるのだが「あんたが入院してほしい」の一点張りなのだ。
病気の症状・悩みがないのは何度も言っており、母親が「勝手にそう思っているだけ」という話も、何度も何度もくり返し話しているのだが、それを母親が聞き入れないせいで話が堂々巡りになってしまうのだ。

愛し、愛されること

私が小学生の時、不登校だった関係でフリースクールで行われているカウンセリングに通っていた時期があるのだが。

その時期のある日、カウンセリング中にカウンセラーから「『愛する・愛される・愛し愛される』の3つを順位づけするならどう順位をつける?順位をつけた理由を含めて答えてほしい」という質問をされたことがあった。

前にこのことを記事にした時があり、その時は「自分が感じたこと」だけを書いたのだが、実は母親と2人で答えを考え発表していたのだ。

私がどう答えを出したかは該当記事を読んでほしいのだが、母親の回答としては

①愛されること
相手から愛されないと、相手に愛を送れないと思ったから。
②愛すること
相手から愛されたから、そのお返しとして愛するから。
③愛し愛される
お互いに愛しあっていないと「愛し愛される」にならないから。

だった。

18~19年ほど前の出来事であるため、詳しいことを忘れてしまい、どうしても箇条書きでしか母親の回答を書けないのだが。

「愛されること」が1位にくること自体はどうでもよく、肝心なのは愛されたい理由の方なのだ。

理由といっても、カウンセリング中に答えた方の理由ではなく、承認欲求の方からくる「愛されたい理由」の方なのだが。

当時のカウンセリングでは承認欲求の話なんてしていなかったはずだから(記憶が曖昧すぎて断言できないが)、母親の中にある「承認欲求からくる愛されたい理由」なんて聞いたことがなく、あくまで予想となってしまうのだが、愛をただの報酬としか見れない部分があるのではないか?と思う部分があるのだ。

カウンセリングで愛すること等を順位づけした際、「愛すること」を2位にした理由を、あたかも報酬をもらったからだ(報酬をもらった以上はお返しをしなきゃいけないから)と言わんばかりの言葉選びをしていたのだ。

箇条書きで書いた2位の理由が「お返しとして愛するから」となっているのが、そういうことなのだ。

百歩譲って「自分のことを好きだと言ってくれる人に惹かれるから」と答えていたら、子どもながらにそりゃあ好意的に見るだろ~と思うだろうが、お返しとして愛すると答えた母親にお返しとして愛することってできるん!?と小学生ながら疑問に思ったのだ。

一般的にいえば「お返し」という言葉は物理的なモノを送る時に使うことが多く、誰かから先に物理的なモノをもらった時に「『物理的なモノ』を送り返す」という意味で使われる言葉だ。

目に見えないものに対して、物々交換のようなことをするならばもう少し別の言葉を使った方がいいと思うのだが。
母親の口から出てくる言葉は「報酬をもらわないと払うもんも払えないよ」と言わんばかりのものだったのだ。

もしかしたら、元々ある発達障害を思わせる言動のせいで、そういう意図はなかったのに愛をモノ扱いするような内容になってしまった、という可能性は否めないのだが。

でも、承認欲求を上手く満たせない原因はそこなのだ。

母親自身が「承認欲求を上手く満たせない原因」を作っているのにも関わらず、他人ひとから認められない(ひどい時は批判される)ことに不満を持ち、私を認めない人はおかしいのだと妄想してしまうが、はたから見たら自業自得なのだ。
母対私でいう、虐待まがいの行いを私にしておいて「母親である私を相手にしないなんてひどい!私は親なのだ!子どもとして親を『親』だと評価するのは当然だ!なぜそれができない!?もしかして病気だから評価ができないのか???」となっているのだ。

母親こそ「病気」なのだろう

本来ならば、元凶であろう「発達障害を思わせる言動」をどうにかしないと意味がないと思うのだ。

発達障害を思わせる言動」のせいで、承認欲求の満たし方を間違えるのだろう、と思うのだ。

承認欲求というのは本来「病気ではない」のだが、満たし方を間違えるせいで代理ミュンヒハウゼン症候群に似た言動をするのだろう、と思うのだ。

本当なら、ちゃんとした診察なりカウンセリングを受けて、医学的に「なぜ『そんな言動』をするのか?」という問いに答えを出さなきゃいけないため、この記事に書いてあることはただの予想でしかないのだが。

ただ、母親が本当に病気でもなければ虐待をしていないと思っているのであれば、私に対する「病気および悩みがある」という妄想は辞めてほしい、と思っているのだ。

悩みがあると思ったことなんて一切ないし、不登校や無職になった原因は「虐待に疲れて休みたいと思ったから」であって、それ以外の原因はないうえに「虐待に疲れて休みたい」という話は母親に説明しているのだ。

母親がそれを聞き入れないだけだが、私はちゃんと説明をしているのにも関わらず、母親は「私が嫌いなら家を出ればいいのに!なんで出ていかないのよ!」と言い出す始末である。
医者でもない自分が、母親の言動を病気だと断言してはいけないのは分かっているのだが、あんまりに妄想を現実だと思っているため「それは病気だよ」と思ってしまうのだ。