特に「なにか」があったわけではないが。
先日、こんなことを呟いた。
自分が一方的に(Instagramのアカウントを)フォローしている、アメリカの人の子どもちゃんが、まだ喃語しか喋れないのに「どことなく英語を感じる喃語」を喋るから、日本語に囲まれて育つ赤ちゃんの喃語と違っていて面白いなぁ……と思うのです😌
— 佐伯 眞依 (@_ms_64) 2022年4月10日
アメリカで猫のブリーダーをしている親御さんが、仕事の一環で(日本でいう)インスタグラマーのような活動をしており、そのアカウントを一方的にフォローしているのだが。
そこの娘さんが、つい最近1歳になったばかりのまだ
喃語とは
赤ちゃんが喋る「言葉になっていない言葉」のこと。
ばぶー、あーうー等のことをいう。
そもそも親御さんが、アメリカ英語を話す「いわゆるネイティブの人」だから、そこの娘さんが聞き慣れた英語を基にした喃語を話すのは当たり前なのだが。
普段から「日本語を基準とする喃語」を話す赤ちゃんに出会うことが多い自分からしたら、新たな発見をしたような気分になるのだ。
よく考えたら当たり前のことなのに、SNSを通じて生活環境や言語の違いを感じられる瞬間である。