多数派だからこそ、LGBTQ+への差別について考えた方がいい

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日本で今のような同性愛者同士の恋愛タブー視されるようになったのは、キリスト教が本格的に普及したのがきっかけだと、なにかで聞いたことがある。

記憶がおぼろげなため、この情報を鵜呑みにしないでほしいのだが、なにかで「キリスト教がきっかけ」だと過去に見たことがあったのだ。

キリスト教が本格的に普及する前から、同性愛者に限らず性的少数者全般への差別はあったのかもしれないが、偉人達による「同性愛が絡んだ逸話」を聞いたことがあれば、「そういう資料」を基にしたような時代劇を見たこともあった。
少し話はそれるが、海外の著名人の話で、自分の家族に同性愛者だとカミングアウトされたのをきっかけに(カトリックから)改宗したという話も過去に聞いたことがあるため、自分が見聞きした情報はあながち嘘ではないのだろう。

自分は一応「肉体も性自認も女で異性愛者」という、いわゆる多数派マジョリティに属する人間なのだが。

なぜこういうことを話題にするのかというと、多数派マジョリティ側の人間だからこそなぜ性的少数者を差別する人がいるのかを考えた方がいいのでは?と思っているからだ。


多数派マジョリティ側の人間で、性的少数者を差別する理由を聞きたい。

生き物として子孫繁栄ができないから差別をするのか、宗教的な意味合いで同性愛は悪だと考えているから差別をするのか。
「現代より同性愛が盛んだった時期がある」という事柄について、なにを思い、どう考え、どのような答えを導きだすのか。

もしかしたら、これを読んだことによって「今は多様性の時代だ!差別する気持ちを持っていてもいいだろう!」と思う人が出てくるかもしれない。

たしかに多様性とは、色んな人がいていいじゃない、十人十色でいいじゃない、という考えだ。

たとえ差別という醜い感情でも、それを徹底的に排除し、なかったことにしようとするのは「差別を差別している」ことになる。
たが、考えるだけでもいいから「なぜ自分は性的少数者を差別するのか?」と自問自答してほしいのだ。

差別をするにも、なにかしら理由があるからだ。

全く理由がなく、差別をする人はいないだろう。

なぜ性的少数者を差別するのかを、多数派マジョリティだからこそ考える必要があると感じている。