外見至上主義の意味を、差別の意味を、履き違えてはいけない

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先日、Twitterのトレンドに「ルッキズム」が入っていたため、なにごとかと思い詳細を見てみたら、NEWSポストセブンによる上野千鶴子氏に聞いた「美しい人に『美人』と言っては行けない理由」という記事が発端だった。

上野千鶴子さんによる発言が、炎上していたのだ。

ルッキズムは、あくまで差別だ

本当はちゃんと該当記事を読んでほしいのだが、炎上している部分の概要としては、こうだ。

  1. 上野氏が「『美人』という褒め言葉も外見差別ルッキズムである」という趣旨の発言をする。
  2. インタビューをしていた記者が「それでは男性に対し『イケメン』というのも問題視されるべきでは?」という趣旨の質問をする。
  3. すると、上野氏は男の尺度の中で一番強力なのは金力(稼得力)であり、イケメンかどうかなんてことは、男にとってはマイナー尺度ですという内容の返答をする。
  4. 結局、この返答が「イケメンはよくて美人は駄目なのか」との反感を買い、今に至る。

外見至上主義とは、本来、見た目を貶め差別することだろう。

純粋に美しいと思ったものを「美しい」と発言するのは、差別になるのだろうか?

美しい見た目を悪い意味で拝みたおし、醜い見た目を貶め差別する風潮を外見至上主義と呼ぶのだと思ったいたのだが、上野千鶴子さんいわく少し違うらしい。

実は自分にも外見至上主義ルッキズム的思想があり、それはあくまで「見た目を馬鹿にした思想」だから外見至上主義だと自覚しているのだが、彼女に言わせたら少し違うのだろう。
自分の中では性別不問外見差別をすることを外見至上主義だと思っており、自分の外見至上主義的思想も性別不問で外見差別をする思想だと認識していたのだが、彼女から見たら、それも少し違うのだろう。

意味を履き違えてはいけない

自分は、純粋に美しいと思ったものを素直に「美しい」と口に出すことは、外見至上主義には値しないと思っている。
イケメンだろうが美人だろうが、純粋にそう思っているのなら、素直に口にしてもいいと思っている。

問題なのは、言葉の裏に「不純な動機」があることだ。

外見至上主義に限らずセクハラでもそうだが、表向きの言葉は「綺麗な言葉」でも、その言葉の裏に不純な動機な動機があるかどうかが問題になるのだ。
不純な動機を持っている側は気づいていないだろうが、不純な動機は自分が思っている以上に言葉にまとわりつき、相手に伝わってしまうのだ。

その結果が、発言した側→「そんなつもりはなかった」と思うし、発言を受けた側→発言に対して不快に思うのだ。

言葉には、自分が思っている以上に「無意識な思い」がまとわりつき、自分が思っている以上にそれが相手に伝わる。

純粋に美しいと思ったものを「美しい」と言っただけでは、差別にはならないと思っている。