自分の賢さと、周囲の賢さ

f:id:saekimai6405:20210826011207j:plain

現実世界で周りの人と関わる際、「相手の賢さレベルが低くてついていけない。」と感じることが多い。
全員が全員、賢さのレベルが低いわけではないのだが、割合的に賢さレベルが自分より低く感じる人が周りに多い。

自意識過剰だと思われたくなくて、あまり人に言ったことがないのだが。

昔からそう思ってしまうことが多々あって、「人との会話がつまらない。」とすら思ってしまうこともしょっちゅうある。

そもそも「賢さ」とは?

そもそも「賢さ」を定義するのは難しいと思っている。

自分の中では「知識の豊富さ」が「賢い」だと思っているのだが、記憶力がよくないと多くの知識を取り込むことはできないし、頭の回転の早さも賢くないとできないとも思っている。
だが、頭の回転が早くても知識がないと宝の持ち腐れ(その逆も然り)な気がするし、最低限「このラインを超えていれば『賢い』と言える」というラインがあればいいのだが、そのラインもどう決めたらいいんだろう?とも思うわけで。

自分の中では、「賢さ」をどう定義すればいいのか分からないし、難しいとすら感じてしまうのだが。

ネットをしていると、自分より賢い人がこの世にたくさんいることも実感する。

そういう人達を見ていると、「自分はなんてちっぽけな人間なんだろう。その人達の足元にも及ばない。」と思ってしまう。

足元にも及ばないのは事実だから、足元にも及ばないからこそ「もっと賢くなりたい。」とも思うし、そういう人達を知る(あわよくば仲よくなって賢い人達の賢さの理由を知る)ことによって賢くなる方法を知りたいとも思うのだが。

それと同時に、自分の周り(現実世界で関わっている人)に自分より賢いと思える人が少ないのはなんでだろう?と疑問に思ってしまう。

賢い人は県外に行く

自分が住む福井県が「田舎だから」というのも、関係してるのかもしれない。

田舎だからか、土地の広さのわりに大学が少ない。

大学が少ないからこそ、自分がやりたい勉強をしようと思ったら県外に出るしか方法がない。

そのせいで、自分より賢い人は必然的に県外に出ていってしまうがゆえに、結果的に自分より賢いと思える人が周りにいない(少ない)状態になってしまうんじゃないかと。
県内にある大学も「偏差値が低い馬鹿な学校」というわけではなく、田舎ゆえに、都会よりも受験する人が少ないから結果的に「偏差値が50ほどしかない」状態になっている。

偏差値というのは、受験する人の人数で左右される。

受験する人の人数が多ければ多いほど偏差値が高くなり、受験する人の人数が少なければ少ないほど偏差値が低くなる。

だから、県内の大学は都会から見たらFランク(あまり偏差値が高くない)と呼ばれるレベルになってしまうが、県内レベルで見たら「都会より受験者数が少ないわりに偏差値が50あるってすごい方じゃない?」と自分は思っているのだが。

現実世界で、もう少し賢い人が周りにいてほしいと、願ってしまう時がある。

自分の「賢さ」はどう思うのか?

自分より賢い人から見たら、自分はだいぶ馬鹿な人間だと思っている。

それにプラスして、「周りの賢さレベルが低く見えること」と「その人達との会話がつまらなく感じること」が品のない馬鹿げた思考(人を見下した行為)だとも思っている。
本当に賢かったら、こんな品のない思考はしないんじゃないか?そもそもそういう思考は作られていないんじゃないか?と思っている。

だから、総合的に見たら自分も賢さレベルが低い人間だと思っている。

興味がある分野を調べることで自分が思う賢さ(知識を豊富にさせる)を求めることはもちろん、自分よりも賢い人と関わることで、さらに賢くなりたいと思っているのだが。

自分よりも賢いと思う人はネットの世界でしか見つからず、現実の世界では自分より賢いと思える人が少ない。
ネットで見つかるだけましだと思っているのだが、現実の世界でも、できれば自分より賢い人が身近に存在していてほしいと思うのだった。