協調性と、他人とつるむ行為

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「協調性≠つるむこと」

人間関係というのは、「寄り添うこと」だと思っている。

馬が合わない人と無理に寄り添わなくてもいいのだが、事務的な意味で誰かに頼ったり頼られたりすることが「人間関係」または「協調性」だと思っている。
友達でも、恋人(配偶者)でも、職場の人でも、家族でも、どういう関係性だったとしてもそうではないかと。

事務的な意味で「物事を円滑に進めるために団体で行動をすること」を「協調性」というんであって、「なんでもかんでも一緒にいてつるむこと」は協調性でもなんでもないと思っている。

自分はあまり誰かとつるむことをせず、ひとりを好んで行動することが多く、そのせいで協調性がないと言われてしまうことが多いのだが。
協調性は「物事を円滑に進めるために使われる力」であって、協調性を必要としない状況では、無理に使わなくてもいいと思っている。

そんなことより、「『ひとり』が寂しくて誰かと一緒にいること」が、協調性がないと思っている。

寂しさが生まれるのは「人に依存していること」で起こっていて、相手のことを「寂しさを埋めるためだけの人」という扱いをしているのが見え隠れするから、それが「協調性がない」んじゃないかと。
当の本人はそのつもりはなくても、「依存」からくる「誰かと一緒にいたい」は友達どころか知り合いでもなく「なんの関係性もない状態」になっているし、しかも「寂しいから」を理由に一緒にいなければいけない相手に失礼な行動だと思っている。

依存は病気

「依存対象=人」に限らず、薬物依存やアルコール依存など、様々な依存対象が存在する。

だが、なにが対象であれ、「依存」は精神疾患系の病気だ。

それがないと無理。
寂しさを埋めたい。

そういう理由で「それ」を求めるのは、言い方は悪いけれど「頭がおかしくなっているから」そうなっている。

依存対象が「人」でも同じだ。

「ひとりでいるのが寂しくて誰かと一緒にいたい」という感情は、依存のせいで頭がおかしくなっているからそう思うんであって、相手のことをなにひとつ考えていない。
もし、前向きな理由で相手と一緒にいたいと思うなら、「寂しい」を理由にするんではなくて「素敵な時間を共有したい」を理由にすると思っている。

ふたつの自立

依存対象がなにに対してもそうだけれど、「精神的な自立」が重要だと思っている。

「自立」には「物理的な自立」と「精神的な自立」があって、「物理的な自立」は親元を離れること(巣立つこと)で、「精神的な自立」は人を必要とせず(依存せず)色んなことをひとりですることなのだが。
「精神的な自立」がしっかりできていると依存することはないのだが(そもそも『依存』という概念が皆無)、「精神的な自立」ができていないと自分の中で「依存」という概念が生まれてしまい、「ひとりが寂しいから誰かと一緒にいたい。」と思ってしまう。

物理的な自立ができていても、精神的な自立ができていないと、本当に「自立している」とは言えず、精神的な自立が「真の自立」だと思っている。

物理的な自立をしていても、精神的な自立ができていないと「なにかに依存しないと生きていけない状態(頭がおかしい状態)になる」と思っていて。
精神的な自立ができていたら、そもそも「依存」の概念が生まれなくて、依存のせいで頭がおかしくなっている……という状況は生まれない。

だから、大の大人で1人暮らしや家族を持っている人だったとしても「ひとりが寂しいから」という理由で友達とつるんだり結婚しているとしたら、真面目に精神科への受診をすすめそうになる。

協調性と自立

どういう関係性だったとしても、人間関係は精神的な自立をした上で成り立つ関係性だと思っている。

何度もいうけれど、「依存」は「頭がおかしくなっている状態」だから、寂しさを理由に誰かと一緒にいるのは協調性があるわけでもなければなんでもない。
頭がおかしいせいで相手を利用しているにすぎないから、頭がおかしい人の相手をしなくてはいけない人に失礼だ。

自立した人間同士が物事を円滑に進める時に、初めて「協調性」が発揮される。

「ひとりを好むこと」が協調性の有無を決めるんではなく、「人に依存しているかどうか」で協調性の有無が決まると思っている。