因果応報と運気の流れは、矛盾しているのか?

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盲信しているわけではないものの、自分は少しだけスピリチュアルなことを信じているため、「因果応報(または言霊)」や「運気の良し悪し」なんかを信用しながら生きているのだが。

ブログになにを書こうかと考えていた時、ふと

「『因果応報』と『運気の良し悪し』は、矛盾した関係性なのでは?」

という考えが浮かんだ。

せっかくだから自分なりの答えを出したものの、唐突になんでこんな考えが浮かんだのかは分からない。

「因果応報」と「運気」の違い

たしかに、自分基準で「因果応報(言霊)」と「運気の良し悪し」を考えた時、矛盾しているといえば矛盾している。


・自分が思う、因果応報(言霊)
無意識とはいえ、自分の行いや発言が、のちに「いいこと」「悪いこと」として帰ってくる。

幸運や不運が、自分の行いや発言で左右され、いつか

「いい行い・発言=幸運」
「悪い行い・発言=不運」

として自分に訪れる。

・自分が思う、運気の良し悪し
自分の行いや発言とは全く関係のないところで、色々と変わってしまう。

自分がどのように行動しようが、自分がどのような発言をしようが、それらとは全く関係のないところで、運気がいい状態運気が悪い状態が必ず訪れる。
自分が昔から「恋人・配偶者ができる=幸せ」と思えない理由がここにあり、恋人や配偶者ができようが不幸は必ず訪れるのに、なぜ

「恋人がいる=幸せ」
「結婚=幸せ」

と思う人がいるのだろうか?と思ってしまうのだ。

運気の値が、因果応報で大きくなるのでは?

自分の行い云々のところに矛盾がある、ということに気づいて、なぜ矛盾した考えを信じているんだ?と思ったのだが。
なぜだ?と考えているうちに、ふと「元々の運気ひとつひとつが『因果応報』のせいで大きくなりそうだな。」という考えが浮かんだ。

特に深い意味はないものの、幸運・不運問わず、本当なら運気の値が「1」だったものが因果応報や言霊のせいで「2」や「3」になるような、運気の値が変わりそうだと思ったのだ。

いい行いや発言をしていると幸運の値が大きくなり(不運の値は変わらない)、悪い行いや発言をしていると不運の値が大きくなる(幸運の値は変わらない)、というように、元々の運気の値はもっと低いはずなのに因果応報や言霊のせいで値が変わるのでは?と。
あくまで「個人的見解」であり、自分は別の考えを持っている!という方の考えを否定したいわけではないものの(誹謗中傷ではない限り『異論は認めるスタンス』でいるため)、とりあえず上記の考えで自己完結をしたのだった。


内容はスピリチュアルなものではあるものの、少し哲学的な感じで物事を考えてしまった。