「賢さ」とは、どういうものを言うのだろう?

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ある日の夜、寝つけなくて色々と考え事をしているうちに、なぜか哲学的に「『賢い』ってなんやねん。」という考えまでに及んでしまった。

とくに深い意味はないのだが、なぜかそうなってしまったのだ。

「賢い」とは?

自分の中では、「知識が豊富=賢い」だと思っている。

知識が豊富っていうことは「それなりに勉強してきた→知識量が多くなった」に繋がると思っていて、その過程がないと「賢い」を名乗る意味がない気がするから、「知識が豊富=賢い」になるのだが。

でも、よく考えると、記憶力がよくないと知識を頭に入れることができないような?と気づいたのだ。

あと、知識量や記憶力とは別で「頭の回転の速さ」も賢さに繋がると思ったのだが、頭の回転が速くても知識量や経験値がそれなりにないと頭の回転が速くても意味がないように感じるのだ。
「知識量の多さ・記憶力のよさ・頭の回転の速さ」を全部かねそなえて「賢い」なのかもしれないのだが、必要最低限のライン(これをクリアしていたら『賢い』と呼べるライン)を超えていたら十分「賢い」でもいいような気がするのだ。

それを考えているうちに、いつしか「『賢い』ってなんやなねん。」「『賢い』の定義ってなんやねん。」になってしまい。

定義を考え出したらきりがないのは、分かっているのだが。

1%のひらめきと99%の努力

トーマス・エジソンの名言で「天才とは1%のひらめきと99%の努力である」というものがある。

「天才」と「賢い」は少し違うが、エジソンの「天才とは~」を思い出すと「賢い」もそれなりに努力がないとなれないように感じるから、それを思うと「それなりに勉強してきた→知識が豊富→賢い」が成り立つのではないかと。

そもそも、探究心や好奇心がないと意味がない(勉強をしようと思わない)と思うし、「1%のひらめきと99%の努力」の本当の意味は

努力をしないと「ひらめき」が生まれることはないけれど、ひらめきがないと今までの努力が水の泡になる。

ということらしいから、「努力するだけでは意味がない」という趣旨のことをエジソン本人が発言しているらしいが。
記憶力のよさ・頭の回転の速さも必要だと思う反面、知識量の多さ(今まで勉強をしてきた時間)がないと意味がないような気がするのだ。

哲学的思考

何度も言うが、「賢い」の定義を考え出したらきりがなく、あげくのはてに哲学的な意味で「『賢い』ってなんやねん。」と思ってしまうのだ。

考え出したらきりがないからこそ、あえて深く考える必要はないと思うのだが。

でも、やはり、少し気になる。
「賢い」ってなんだろう?

必要最低限のラインでも、なにをクリアしたら「賢い」と呼んでもいいんだろう?

「賢い」を定義するなら、なんだろう?
なにを定義したら、「賢い」になるんだろう?