最初から「分かり合えない」を前提として接した方が、人間関係は上手くいく気がする

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特になにかがあったわけではないのだが、意味もなく考え事をしていた際、ふと「『他人とは分かり合えない』を前提としていた方が人関関係が上手くいく」と思った。

考え方が似ている・好みが似ている等の「気が合う人」はいても、「自分と完全一致するクローン人間」はいないため、たとえ気が合う人でも意見の相違は必ず出てくる。
話し合いをしたところで、必ずしも自分の意見が理解されるとは限らないから、話し合いをすれば必ず分かり合える!と思っているより最初から分かり合えないと割りきる方が、人間関係が上手くいくのでは?と思った。

「親子だから」は、ただの幻想でしかない

うちの両親あるあるのひとつで、相手の意見を全く聞かないくせに「話し合い」を称して自分の意見を押しつけてくる現象(ほぼ虐待)があるのたが、あれはたぶん「親子だから分かり合えるのは当然だ!」という思考が潜在意識にあるのでは?と少し思っている。
意図的にそう思える人間なら逆に「虐待」なんてやらないと思うのだが(無意識だからこそ虐待をするのだと思っている)、親子なんだから分かり合えるのが当然という思いから、こっちが反対意見を申し出ると「頭のおかしい発言をしている!なにかの病気じゃないの!?」と思ってしまうのではないか?と推測している。

自分からしたら、反対意見だからって「頭がおかしい」「そういう病気」と思う方がなにかしらの病気を患っているのでは?と思うのだが(心理学や精神医学でいう『認知の歪み』かなにかだと思っている)、相手をおかしい扱いする理由のひとつに、親子だから話せば分かると思っているのでは?と。

しょせん、「俺か俺以外か」でしかないのだ

いくら血が繋がっているとはいえ、親は親、子どもは子どもなのだから、子どもが自分と似た思考の人間になったとしても「自分のコピー作品」ではない。

コピー作品ではない以上、いくら親子だからって必ず分かり合えるなんて不可能である。

だから、自分は、たとえ親子関係だったとしても最初から分かり合えないことを前提として接しないと、うちの親のように「虐待行為」として子どもと接することになってしまうのでは?と思ってしまうのだ。
親子関係に限らず、友人関係だろうが恋人(配偶者)だろうが、あえて「他人とは分かり合えない」を前提にしていた方が、人間関係が上手くいくのでは?と、なんとなく思うのだった。