差別と教養

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自分は、基本的に人種や性的マイノリティで差別をすることはないのだが、「非常識な人」に関しては誰であろうと差別してしまう(馬鹿にしてしまう)気持ちがある。
表には出さないのだが、常識のない人や学がない人(『教養がない』や『マナーがなっていない』という意味で学がない人)を見ると、つい馬鹿にした気持ちが生まれてしまうのだ。

どういう理由であれ、本当なら差別する気持ちは生まれない方がいいと思っている。

たとえ、表に出さなくても「相手を馬鹿にした感情」や「差別する気持ち」が生まれた時点で「学がない行為」だと思っているからだ。

差別と教養

そんなことを言いつつ、教養がマナーがない人全員を厳しく非難しているわけではなく、必要最低限のマナー(『あいさつができる』『嫌い箸をしない』等)ができていたらそれでOKだと思っているのだが。

必要最低限のマナーすらできていない人を見ると、たとえ年上だろうが「こいつ馬鹿かよ。」と思ってしまうのだ。

表に出さないといえど、相手を馬鹿にするような感情(差別してしまう感情)が生まれてしまう時点でその感情は「教養のなさ」からくると思っているから、他人を馬鹿にした感情が生まれると同時に「やっちまった……。」と思ってしまう。

日本には「思想の自由」というものがあるから、差別的な感情でも「思うだけなら個人の自由」なのだが。

自分は、他人を馬鹿にできるほどの教養やマナーを身につけているわけではないから、他人の教養のなさ(マナーのなさ)を馬鹿にしてしまうのはお門違いなわけで。
その「お門違いなこと」をしてしまう時点で、自分から「私は教養がなっていない人間ですよ。」と宣言しているようなものだから、「思うだけ」だとしても恥じる行為だと思っている。

「常識がある」と思っているのか?

話がそれてしまうのだが、自分は常識のない人を見て育ちが悪いと思わない代わりに「その人にとってその行動は『常識がある』と思っているんだろうか?」と疑問に思っている。
はたから見て「常識がない」「マナーがなっていない」と思われてしまう人は、自分の行動(はたから見たら非常識な行動)をどう思っているんだろうか?と気になって仕方がないのだ。

うちの両親が虐待を「虐待」と認めない(虐待行為が『人として当たり前』だと思っている)人間だから、それと同じで自分の中では「普通のことをしてるだけ」なんだろうか?

どう見ても非常識で、教養やマナー云々の話ではないのに、自分は「常識のある人間」だと思っているんだろうか?

もしそうなら、それは「恥ずかしいこと」だと気づかなければいけないと思っているのだが。
親から躾をされなくても、親以外の誰かに指摘されるはずなのに、なぜ気づかないんだろう?と思ってしまうのだ。

もしかしたら、うちの両親のように、指摘をしたところで「お前がおかしいからそう思うんだ。こっちは非常識なことなんてしていない。」と癇癪を起こして面倒なことになるのかもしれない。

そういう理由で、指摘をしても無駄なのかもしれない。

でも、もし「自分が常識のある人間」だと信じてやまないんだったら、「認知の歪み」が起きている状態なのに気づかないといけないんじゃないか?と思うのだ。