死は当たり前のものであって、特別なものではない

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疑問に思うことがある。

うつ病などの、精神疾患を持った人が病気のせいで死について考えてしまうのは分かるし、いわゆる「健常者」が死について考えることが少ないのも分かるのだが。

この世の生き物でいちばん賢い存在である人間だったら、いわゆる健常者と呼ばれる人でも、健常者なりに死について考えることは容易なはずだと思うのだ。
そして、「死について考えることそのもの」を「おかしいこと」として片付けられてしまうのはなぜだろう?と、疑問が浮かんでしまうのだ。

「健康的な脳」と「不健康な脳」

精神疾患にもよるけれど、うつ病などによくある「憂うつ」「死にたい」は脳から分泌されるセロトニンが極端に少ない状態になってしまうゆえに起こる症状である。

健康的な脳だったら、セロトニンはちゃんと分泌されている状態だから、「憂うつ」「死にたい」と思うことはないのだが。
その反面、健康な脳だったとしても「知能が高い動物」である人間なら、健康な脳なりに死について考えることは可能だと思っているのだ。

浅はかな考えでもいいから、知能が高い動物である人間なら、たとえ健常者だろうが死について考えようと思えば考えられるはずなのに、なぜ死について考えようともしない人がいるんだろうか?と思ってしまうのだ。

たとえ「死んだ後は『無』になる。」という考えだったとしても、人間だったら老若男女問わず考えることができるはずなのに、なぜ死について考えない人が存在しているのだろう?と。

人間以外の動物ならまだしも……というか、むしろ動物によっては人間より死について考えている動物(野生動物のような死と隣合わせで生きているような動物)はいるかもしれないのだが。
いちばん賢いはずの人間より、人間以外の動物の方が死を考えているかもしれないと思うと、もはや人間は他の動物より劣っているのでは?という考えすら浮かんでしまう節がある。

「死」は普通のこと

人間に限らず、どの動物でも、いつか「死」という終わりがくる。

「不老不死」がありえない以上、当たり前のことだ。

極論をいえば、精子卵子が受精した時点で「死ぬこと」が確定してしまうほど、生と死は当たり前のものとして共存しているのだ。
人間も生き物である以上、「生きること」は普通ではあるけれど、「死ぬこと」も当たり前の存在として自分の近くに潜んでいることを忘れてはいけない。


そもそもの話、いつ生涯を終えるのか分からない状態なのに、なぜ生きることしか当たり前だと思わないんだろうか?と疑問に思う。

偶然生き続けているだけなのに、なぜ死ぬことは頭にないのだろうか?

事故に巻き込まれる可能性は誰にでもあるし、なんなら病気かなにかで突然死をする可能性も日常の中に紛れているのだ。
万が一、死ぬことがなくても「なにか」がきっかけで身体障害者になる可能性は大いにあるのに、なぜ考えられないのだろうか?

人間は賢いはずなのに、そういうのを考えられないのは、知能がが低すぎて目の前のことしか考えられないハムスターと一緒じゃないか!と思ってしまうのだ。

知能と、死生観と、当たり前

無理をして真面目に死生観を考えなくてもいいのだが、人間は賢い生き物だから「死」に関連したことを考えるのは容易であると考えている。

精神疾患を持っていようが、心身ともに健康だろうが、それは関係がないと思っている。

そりゃあ、セロトニンの分泌量が少ないとマイナスな感情が生まれやすく、死に関連したことを考えやすいのはあると思っているのだが。
ただ、心身ともに健康な状態でも、賢い頭脳を持っている「人間」という生き物なら、「死」に関連したことを考えることは容易なことだ。

「死」に関連したことを考えないのは、人間のくせに知能が低いからだと思ってしまう。

人間のくせに知能が低いから、「生きること」しか考えることしかできず、それを「当たり前なこと」と勘違いしてしまうのではないかと。

本当に賢いなら、自分なりに「死」について考える機会がいくらでもあるはずなのに、むしろ「死」に関連したことを考えるのはおかしいとすら思われてしまう。
「『死』に関連したことを考えるべき」とまでは思わないのだが、知能が高いはずの人間が「死」に関連したことを考えないのはなぜだろう?と思ってしまうのだ。